経営理念
- 『その営みがいかに小さくともこれみな公事』
- (小さくとも社会の発展に貢献できる企業であること)
- 淡路島出身の高田屋嘉兵衛は
- 幼少期から仕事に励み積極的に人生を切り開きました。
- しかし、貿易船の旗を国の代表と見間違われロシアに連れ去られます。
- 衣服も食べ物もままならない極寒の地で
- 兄弟や仲間を亡くしながらも部下に希望を持たせ続けます。
- やがて嘉兵衛の居振る舞いの潔い態度が
- 言葉の通じない相手の心を動かします。
- そして
- 凛として大国ロシアと最後まで渡り合い日本に帰ってきました。
- 嘉兵衛のどんな時でも真剣に人と向き合う姿に
- 自分を重ねて生きてきました。

以下は「菜の花の沖」第6巻の谷沢永一氏の解説から抜粋しました。ゴローニンの『日本幽囚
記』で読み得るリコルド少佐の手記においては「高田屋嘉兵衛は、どういう状況下でも言葉に嘘
がなく、快活で度量が大きく、聡明な人物とされて」いて、「さらには、名誉を守るために<敵
中>で死を覚悟しつつ、<敵>とともに自爆しようと考えたりするが、やがてロシア人の中に信
義を見出すと、のち逆にかれらを救う立場になったとき、深い友情と信義で最後までつらぬいた
人物としてえがかれている」のであるから、まことに劇的な人物像として格別に後世を魅惑す
る。
「こちらが裸の人間としての尊厳をもちさえすれば相手も身分制や立場の衣装をぬいで裸にな
らざるをえないという人間関係の初等力学のようなものが、嘉兵衛の腑の中に棲みついた」ので
あった。
「むろん、相手をも、裸の人間として頭の髪から足指の爪先まで尊重するのだ」と、後年の嘉
兵衛は凛呼たる抜きんでた信念と担力を培ってゆく。リコルド少佐によってカムチャッカに拉致
されるにあたり、嘉兵衛は「捕虜の身であって、しかもたれからも公式に委任されたことのない
国家外交をやってみようと」決意した。
「最悪の状況」に置かれながら、「いわば自分自身の存在、立場、運命をみずから転換させた
ことは、異常なほどに聡明で、なによりもはちきれるような陽気な精神といってよい」であろ
う。
そして「<両国の和平>などというようなたかだかとした言葉を、たとえ表現の上だけでも使
った者は、この時代の幕臣、諸藩の士、町人においってたれひとりいない」のであり、「この決
意をした瞬間、船頭の嘉兵衛は歴史の上に、新しいあしあとを穿った」と驚嘆せねばならぬ。
しかも嘉兵衛は「決意」を実現するために、「わしは捕虜ではないんだ」と明確に自己規定し、
「人間としての尊厳」を保ち示す努力を深め、さらにはロシア側の「威圧的外交的な案」を撤回
させ、「自由なる高田屋嘉兵衛として上陸させろ」という、彼自身の考え抜いた「外交構想」を
実現するために、「裸の人間」同士の信用関係を樹立する困難に成功する。
だが泊村の御陣屋役人衆によって代表される日本政府は、外交の艱難をなめつくしてきた嘉兵衛
には愚かしく嘆かわしい態度でしかない。